本日のズレオピ

昨夜の久しぶりのミーティングで議題に上ったLIVEDOORの件、
抜粋を転載します。
昨夜の結論より、意図的にLIVEDOOR的な意見を集めてみます。

例えば自動車メーカーは自動車という形のある機械を生産することで成立する企業であり、支配者が誰になろうと同じ自動車を生産する宿命がありますが、メディアが生産するものは、限りなくそこに籍を置く各記者、各プロデューサー、ディレクターが自己の良心や野心や妄想や願望に照らし合わせ、共同で紡ぎ出す幻想なのであり、生産設備は支配されても人間は支配の対象にはならないという意味で、誰が社主となっても、記者たちが、その風になびかず、例えばフジサンケイ・グループに属する人間たちが、漠然と思うグループの風土を護り続ける限り、誰の支配をも受けないものなのだと思います。

ライブドア側のビジネスプランの説明が不十分だとか、同様のニュアンスで、買収の大儀が見あたらないといった批判がありますが、根本的には、ビジネスプランの可否なり、経営路線変更なりの評価を下すのは株式会社の場合は株主だというルールですから、部外者がとやかくいう問題ではありません。ライブドアがビジネスプランを説明することが「望ましい」とはいえても(私も興味があるが)、ビジネスプランはビジネス競争上の秘密に属する内容を含むはずなので、これを「説明できなければ支配権の移転は認められない」というのは、ライブドアに対して些かアンフェアだろうと思います。

尚、東証での時間外取引を使ったライブドアニッポン放送株式の取得が批判されていますが、行為自体は適法であり、あの時点では、市場でオープンに買った場合、買い付けコストが高くなったでしょうから、ライブドアのやり方は彼らの株主の利益にかなっており合理的です。

他方、「放送の世界には数(資本)の論理はなじまない」とする意見がありました。しかし、それなら、(1)そもそもフジテレビジョンニッポン放送が株式を上場して経営している事自体に問題があるということでしょうし、(2)株式を上場している以上フジテレビジョンニッポン放送はもっとこれに注意を払った経営をすべきだったということでしょう。(2)については、いわゆる「資本のねじれ」を解消することを含めてニッポン放送の株価を上げる努力が不十分だったということです。また、現在でも、ニッポン放送の株価は必ずしも高すぎるとはいえないので、ライブドアは投資の側では、そう大きな無理をしているようには見えません(但し、後述しますが、資金調達には無理と問題とがありそうです)。

また、放送と資本の関係については、(3)株を握っている主体が経営をコントロールしないとすれば、誰が経営をチェックするのか、というより根源的な問題もあります。営利事業としての放送局の場合、視聴者・聴取者に支持されない場合収益が減り、この改善を求めて株主が経営者をチェックするという形で放送の内容も含めたビジネスのコントロールが行われるのだと考えるよりありません。これは「資本主義の行き過ぎ」云々といった主義・思想の問題ではなくて、単にルールの問題です。たとえば、フジテレビジョンの経営者が適任であるか否かは、第一義的にはフジテレビジョンの株主が評価し決定する以外にありません(この点、民放はNHKよりはすっきりしています)。

ニッポン放送フジサンケイグループを離れると企業価値が低下するといった理由がニッポン放送側から説明されていますが、仮にフジサンケイグループがそのように行動するとすれば、商業倫理的にも些か問題でしょうし(どうしてフジサンケイグループニッポン放送を困らせる必要があるのかさっぱり分かりません)、それはニッポン放送企業価値の下落を通じてフジテレビジョンニッポン放送の大株主です)の企業価値を毀損します。ニッポン放送経営陣の主張には無理があるように思えますが(これはニッポン放送経営陣の決定であり、フジテレビジョンの経営者が「(差し止め請求を)受けて立つ」とコメントしたのは些か奇妙でした)今後の他のケースにも影響するので、裁判所の判断が注目されます。

仮に、ニッポン放送の主張が通ったとすると、たとえば、外国人に「日本では、株式を買っても議決権はついていないのか?」とでも訊かれたら、返答に窮してしまいそうです。

最後に、堀江社長外資に対する感情論があります。堀江社長がマスコミに多数登場し、『稼ぐが勝ち』(2004年8月の著書)的な発言をすることが多かったため、出る杭は打たれる的に、政財界のエスタブリッシュメントから反発を受けています。自ら買収のリスクがあるフジテレビ以外のマスコミも、フジテレビ寄りの報道が多いように見受けられます。堀江社長の情報発信にもう少し日本的配慮があった方が良かったとは思いますが、同社長の「株式を上場するということは誰でも株式を買っていいということ意味する」という論点は正論といえましょう。

結局、上場メディア企業を買収したとしても、変えられるのは、新聞の紙面の構成を変えたり、放送の方法を変えたり、効率的に運営したりするなど、経営的な手法が主になるはずです。そして、収益を拡大させ、企業価値を引き上げることが、企業買収の目的であるはずです。もちろん、その結果買い占めた株主が儲かるということです。反面、買い占めて、上場廃止にして思うようにメディアを支配できるのではないかということも考えられますが、法や国民の目によって受ける損失は、買い占めた株主がすべて負うことになり、そこまでリスクを負って道楽でできるか疑問です。

最後に、最近のマスメディアの視点は、大体において、どちらがニッポン放送の支配権を握るかに絞っています。しかも、ライブドアに批判的です。一方で、それは、最近のメディアがおかしいという国民の疑問をぼかし、非難を避けようと、面白おかしく報道しているとも見て取れます。実際は、最近のメディアは、肝心のメディアの本質である、事実を伝え、真実を追究しようとする姿勢が薄れ、娯楽やセンセーショナルなニュースを流したり、地方メディアのなかには、行政にべったりで行政広報に徹したりして、国民の知りたい権利を保障しないメディアが多くなったような気がします。

しかも、現在のメディアの経営陣は、公共性を盾に、編集、報道方針を聖域にして、国民に事実を正確に伝えなかったり、真実を追究しなかったりし、自分たちの考えや企業・行政・政治の意向を汲んだ都合のいい報道をして、かつそのことで地位を保持してる姿からは、隠れた既得権益者に見えます。今回、フジテレビはニッポン放送株取得問題をほとんど報道していません。当事者という点もありますが、少なくとも、事実を報道することはメディアに課せられている義務であって、それをしないことは、報道における公平、中立というメディアの公共性を否定しているといわれてもおかしくありません。結局、ライブドアニッポン放送株取得は、メディアの本質や公共性とは何か、国民のためにメディアが本当に放送・報道しているのかという問題を投げかけたのではないでしょうか。

今回の件ではフジテレビはもちろん、他のテレビ局の社長なども「カネでメディアを買うという考えは、メディアの公共性を軽んじている」などといった発言をしています。しかし、現在の民放テレビ局の番組の質をどう見るにせよ、「経営陣が素晴らしいためにメディアの公共性が保たれ、番組の質が高くなっている」と考える人は少ないのではないでしょうか。

現在の日本では民放テレビ局も新聞社も株式会社になっています。営利の追及とメディアの公共性の維持は十分両立可能であるという前提でそういう制度になっているわけですが、公共放送であるNHKが民放よりも公共性の高い報道や番組作りをしているとは到底言えない現状から見ても、その前提が満更間違っているとも思われません。そうであるならば、その株が買収されるのも制度上あり得ることで、そこで「メディアの公共性」を持ち出すのは矛盾していると感じます。


非常に沢山拾ってしまいました m(_ _)m

結果的には現状、「SOFTBUNKがLIVEDOOR全面勝利のシナリオで動いている」との噂通りになったのですが
そんな事も含めてよく判らないし、どうでもいいんだけれど、
今回、ニッポン放送やフジテレビの報道が公正ではないと強く感じたわけです。

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