固有名詞の罠
出張2日目
予測を越え3時半退出するも成果は想いの60%ほどか?
それでも帰ったのは自分だけ、みな貫徹の様なもの。
3時半に退出とは言え、バタンキュー(死語)なはずも無く
無料チャンネルにて新日本プロレス2002年モノを観戦。
その1戦に異様に早く終わった試合があり驚愕。
知らない外人vs知らないUWF系選手の一戦。
例えればドクター・デスvs山ちゃん(山崎一夫?)の様なタイプ(判るか?)
つまり、まさに「異種」なのだ。
間合いを計り合う緊迫した手出しが少々続いた後、本格的なコンタクトが始まった。
が、
重くスローなブレインバスターの後、Uが大の字に。
レフェリーの呼びかけにも反応しない。
かがみ込みノーズtoノーズで怒鳴り起こそうとするドクター・デス(似)。
瞬間、猪木vsベイダーを彷彿。
かなりの間があってUは復活。
が、
その2〜3手後、あっさりフォール。
試合時間3分?(・0・)
しかし、これがプロレス。
ゴールデンタイムに放送されていた頃には、たまにあったではないか。
こういう予測外の出来事がプロレスの面白さであったはず。
それはPRIDEやK−1の秒殺とは違った醍醐味。
自分はみんな好きだが、近年プロレスのこういう面白さを忘れていた感有り。
ある程度のプロレスファンたれば、対戦カードより試合の展開予測するはず
それはPRIDE、K−1も同様であろうが、
その予測が外れた時の「驚度」の質を考えてみたい。
予測と言うよりもシナリオ
自分のシナリオと実戦の結果の差に、どれだけ驚度があり、
また的中した時の喜びがどれだけのものか。
そこにいかなる心動を得るかは、人それぞれであろう。
貴賤は無い。
ジョージ高野が、故郷である小倉にて行った試合も放送。
タッグは蝶野。
彼の計らいによる久しぶりの凱旋試合の様相。
体育館らしき会場、お世辞にも大入りとは言えない。
(この番組、マイナーな会場の収録多し)
高野、コブラの面影を時折見せるものの
もちろん全盛期を知るものは既に少数。
地方における一興行に過ぎない盛り上がり。
しかしながら、蝶野、生き生きと試合展開。
予測されていた勝利の後、
息の上がった高野の手を取り、ビクトリーアピール。
高野にカメラの方向を示唆しつつ、
2人で八方へポーズ。感動。
聞けば、高野現役最高期に蝶野らが新弟子だったとのこと。
通路で感謝の握手を交わす2人。
素晴らしき哉、プロレスリング。
そこに格闘技ブームの現在に切り込む様な要素は少ないかもしれないが、
こういった「時間を超えた」感動がプロレスの魅力ではないか。
年末の特番で、プロレスはもっとイケメン選手などをアピールすべしとの意見を、
棚橋が強烈に拒絶していた事を思い出した。痛快。
その後、学生アマレスチャンプのデビュー戦(無名の中堅レスラーに完敗)等。
さらにプロレスの人生感を思う。
北斗の言うとおり、プロレスは「人生」。
そして蓋し名言、「プロレスは文学」足り得ると思った一夜。
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「固有名詞の罠」はまたの講釈で・・・。
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