居酒屋の店員さんに写真を撮って貰う

父の友人で、僕も大変お世話になった方が、こっちに出張で来られて
25年振りにお逢いする事になりました。

それで夜、車をとばして街へ行った、久しぶり。

父子の年齢差があって、尚かつ25年振りに逢うと感慨も一入
とても良くして貰った。

当時餓鬼だった僕をいろんな処へ遊びに連れて行ってくれたけど
僕はいつもどこかで「こんな餓鬼相手じゃつまらないだろうな」
と思っていて、出来るだけ邪魔にならないように心掛けていた。

だけど、子供なので、どうしても我が儘で馬鹿な行動をしてしまう。
それが子供の自然な習性にせよ。

日々成長するたびにそれが判ってきて、
餓鬼の無差別行動と自己嫌悪の繰り返しであった。
それが子供の日々で、中島みゆき的に言えば(というかパクれば)



 悲しみをひとひら囓る度に子供は
  「悲しいと言えない大人」に育つ



という事なのではないかと思う。



僕は角煮とサラダを食べて、
おじさんは日本酒をやりながら鰺の塩焼きを食べてほろ酔い加減
2時間強を過ごしたが、その殆どはいかに僕の父親が素敵な男であるか
についての力説で、僕は楽しく拝聴していた。
おじさんの言葉をそのまま借りれば、
僕の親父の事を「舐め回したいほど好きだ」と(*_*)


僕は子供の頃、親父を殺したいほど憎んでいたので
その事がずっと気になっていたようだ。


酔って良い気分になったおじさんは、
自宅の奥さんに電話して僕と替わったりした。
持ってきたデジカメで家族の写真を見せてくれた。


そして、店員さんに2人の写真を撮ってくれと頼み、
その店員に今夜25年振りに逢ったのだと説明していた。
僕もケータイで撮影して、その場で親父にmailしてやった。



僕が8歳の頃、彼は数少ない尊敬できる大人だった。
子供が接する「他人の大人」はとても限られていて、
親戚でない大人は学校や塾の先生であったり
友達のお父さんやお母さんが殆どになるんだろうけど、
8歳の子供が尊敬できる大人は少ないと思う。


僕は子供から羨ましく思われる大人になりたいと思ってきた。
大人はズルイ。
大人は子供に出来ない事が沢山出来る。
だから早く大人になりたい。
そう思われるような大人になりたいと願ってきたが
実現できていないと思うので、まだまだ、続けていきたい。